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慰安婦捏造のおさらいをしときましょ。
解説はいつもの、<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さんです。
おながいします。
▽
33 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/03/13(土) 21:29:28 ID:qILptIPl
【イアンフ捏造の流れ】 その1
・支那・大連生まれの元毎日新聞記者 「千田夏光」 が
「ジューグンイアンフ」という言葉を創造
1973年「従軍慰安婦」を出版
↓
・1983年 「吉田清治」 が自著「私の戦争犯罪」にて
「済州島でイアンフ狩りをした」と記載
1989年ハングル版出版、と同時に 「青柳敦子」 が
韓国で「訴訟費用は負担します」とビラ配り
↓
・驚いた済州島で、地元紙「済州新聞」が綿密な取材を敢行、
89年8月14日に『「私の戦争犯罪」は捏造』と報道
(これで一旦終息、2年の空白が流れる)
【イアンフ捏造の流れ】 その2
・2年後の1991年8月11日、突如 「アサヒシンブン」 が、
「元イアンフに聞き取り調査開始」と報道
(いわゆる「イアンフ捏造キャンペーン」開始) 記者は
「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」理事の娘と結婚していた 「植村隆」 。
「青柳敦子」 が連れてきた「元イアンフ」は 「金学順」 。
この後に東京地裁に提訴、訴状には「親に売られた」と記述
(ここまで朝日は、常に韓国を『軍事独裁国家』と呼んで蔑んでいた)
↓
・翌92年1月11日、 「アサヒシンブン」 が「慰安所 軍関与示す資料」と、
「吉見義明」 の記事を報道。
(内容はというと、軍と警察が違法業者を取り締まるという内容だった)
↓
・1月16日 「宮沢喜一」 訪韓、何の検証もなしにいきなり謝罪、
↓
・1月23日、またしても「 アサヒシンブン」 が、
夕刊コラムで「 吉田清治」 の「私の戦争犯罪」を紹介
↓
・6〜7月、正論8月号&諸君7,8月号にて、秦郁彦氏が
「吉田清治」 の捏造を看破、騒動が急速に沈静化
(が、アサヒシンブン「イアンフ捏造キャンペーン」に韓国内で反日爆発、
これを機に朝日を『良心勢力』と呼ぶようになる)
【イアンフ捏造の流れ】 その3
・「第一次サハリン裁判」で 「吉田清治」 が偽証、
担当弁護士は翌年インドネシアで 「元イアンフ2万人募集」をやる 「高木健一」 。
「加藤紘一」 が「慰安所には軍が関与」とし、
1993年8月4日 「河野洋平」 が談話発表。
同日、NHK教育が捏造番組『50年目の"従軍慰安婦"』を放映。
「ナヌムの家」を紹介。
↓
・1996年2月6日、国連「クマラスワミ報告書」提出、
評価基準は最下の"take note"(留意)
中学歴史教科書検定、河野談話をもとに、
全ての歴史教科書に「イアンフ」が記述される。
↓
・1997年1月3日、『朝まで生テレビ!』で 「吉見義明」 が
「強制連行&挺身隊が慰安婦にさせられた例は未確認」と自白。
3月、 「アサヒシンブン」 が「強制連行がなかったとしても、
強制性があったのは明らか」と報道、「吉田清治」 証言否定。
12月15日「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求裁判」口頭弁論で、
「吉見義明」 が「女性に対する性暴力」発言、
担当は当時弁護士だった 「福島瑞穂」
↓
・2000年、バウネット&朝鮮総連による「国際戦犯法廷」
↓
・2001年、「金学順」 東京地裁で敗訴(判決前に既に死亡)、
控訴&上告、2004年最高裁にて棄却
そして現在に繋がる。
解説はいつもの、<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さんです。
おながいします。
▽
33 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2010/03/13(土) 21:29:28 ID:qILptIPl
【イアンフ捏造の流れ】 その1
・支那・大連生まれの元毎日新聞記者 「千田夏光」 が
「ジューグンイアンフ」という言葉を創造
1973年「従軍慰安婦」を出版
↓
・1983年 「吉田清治」 が自著「私の戦争犯罪」にて
「済州島でイアンフ狩りをした」と記載
1989年ハングル版出版、と同時に 「青柳敦子」 が
韓国で「訴訟費用は負担します」とビラ配り
↓
・驚いた済州島で、地元紙「済州新聞」が綿密な取材を敢行、
89年8月14日に『「私の戦争犯罪」は捏造』と報道
(これで一旦終息、2年の空白が流れる)
【イアンフ捏造の流れ】 その2
・2年後の1991年8月11日、突如 「アサヒシンブン」 が、
「元イアンフに聞き取り調査開始」と報道
(いわゆる「イアンフ捏造キャンペーン」開始) 記者は
「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」理事の娘と結婚していた 「植村隆」 。
「青柳敦子」 が連れてきた「元イアンフ」は 「金学順」 。
この後に東京地裁に提訴、訴状には「親に売られた」と記述
(ここまで朝日は、常に韓国を『軍事独裁国家』と呼んで蔑んでいた)
↓
・翌92年1月11日、 「アサヒシンブン」 が「慰安所 軍関与示す資料」と、
「吉見義明」 の記事を報道。
(内容はというと、軍と警察が違法業者を取り締まるという内容だった)
↓
・1月16日 「宮沢喜一」 訪韓、何の検証もなしにいきなり謝罪、
↓
・1月23日、またしても「 アサヒシンブン」 が、
夕刊コラムで「 吉田清治」 の「私の戦争犯罪」を紹介
↓
・6〜7月、正論8月号&諸君7,8月号にて、秦郁彦氏が
「吉田清治」 の捏造を看破、騒動が急速に沈静化
(が、アサヒシンブン「イアンフ捏造キャンペーン」に韓国内で反日爆発、
これを機に朝日を『良心勢力』と呼ぶようになる)
【イアンフ捏造の流れ】 その3
・「第一次サハリン裁判」で 「吉田清治」 が偽証、
担当弁護士は翌年インドネシアで 「元イアンフ2万人募集」をやる 「高木健一」 。
「加藤紘一」 が「慰安所には軍が関与」とし、
1993年8月4日 「河野洋平」 が談話発表。
同日、NHK教育が捏造番組『50年目の"従軍慰安婦"』を放映。
「ナヌムの家」を紹介。
↓
・1996年2月6日、国連「クマラスワミ報告書」提出、
評価基準は最下の"take note"(留意)
中学歴史教科書検定、河野談話をもとに、
全ての歴史教科書に「イアンフ」が記述される。
↓
・1997年1月3日、『朝まで生テレビ!』で 「吉見義明」 が
「強制連行&挺身隊が慰安婦にさせられた例は未確認」と自白。
3月、 「アサヒシンブン」 が「強制連行がなかったとしても、
強制性があったのは明らか」と報道、「吉田清治」 証言否定。
12月15日「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求裁判」口頭弁論で、
「吉見義明」 が「女性に対する性暴力」発言、
担当は当時弁護士だった 「福島瑞穂」
↓
・2000年、バウネット&朝鮮総連による「国際戦犯法廷」
↓
・2001年、「金学順」 東京地裁で敗訴(判決前に既に死亡)、
控訴&上告、2004年最高裁にて棄却
そして現在に繋がる。
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