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しまねこです。天皇陛下と皇室の存続と繁栄を一番に願う者ですが、しばし政治ネタはお休み。縁の下の力持ちになる方法を探って行こうと思います。
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今、風土記を読んでいるのだが、
千年以上も前の文献が現存する日本と言う国は
すげーなー、と改めて感心する。
今日は『播磨国風土記』から、速鳥をご紹介します。
出雲で発掘された宇豆柱(うづばしら)
を頭に入れて読んでみてください。

【中央ロビー展示「出雲大社境内遺跡出土の宇豆柱」】

心の御柱は3本を1本に括ってあります。

速鳥

播磨の国の風土記に曰く。
明石の駅家(うまや:宿駅)。仁徳天皇の御代、
駒出の御井と言うところに、楠が井戸のほとりに生えていた。
朝日が当たると、その木の影で淡路島が隠れ、
夕日が当たると大和の国が隠れるほどの大きな木であった。

その楠を切って舟を作ったところ、その早いことは飛ぶようで
一度漕ぐと七つの波を越えて走った。
それで「速鳥」と言う名前を付けた。

そこで、この井戸のお水を天皇のお食事に供えようとして
朝夕にこの舟に乗って、この井戸の水を運ぶことにした。
ところがある朝、天皇のお食事の時間にその水が間に合わなかった。
それで歌を作って、その運搬を止めた。
その歌は
「住吉の 大倉向きて 飛ばばこそ
速鳥と云わめ 何か 速鳥」

住吉(天皇のおられた所)の大倉に向かって
飛ぶように早く走ってこそ「速鳥」と言えようが、
こんなに船脚がのろくては、何が「速鳥」なものか。


古代の日本には、巨木がたくさん生えていた
・・と云う伝承が残っています。
その伝承を裏付ける話や遺跡もあります。
出雲のお社もその一つ。
48mもあったと云う大国主命の宮社。
巨木を考えると、十分あり得ます。
事実だったと思います。
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