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しまねこです。天皇陛下と皇室の存続と繁栄を一番に願う者ですが、しばし政治ネタはお休み。縁の下の力持ちになる方法を探って行こうと思います。
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1986年、チェルノブィリで原子力発電所が大爆発を起こした後、
たくさんの現地の方が放射線を浴びて亡くなられた。
日本からも医療ボランティアのメンバーが応援に入った。

悲惨な状況下の下、放射線を浴びて急性白血病に掛かった子供達がいた。
一人、無菌室の中で治療に苦しむ子供のために、
日本人スタッフがこう尋ねた。
「何が食べたい?何なら食べられる?」
子供は応えることができませんでした。
翌日、スタッフは横たわる子供にまた同じ質問をくり返します。
子供はやっと答えます。
「パイナップル。」
子供の話を聞いた日本人スタッフたちは、
外気温マイナス20℃の街中を、パイナップルを求めて走り回ります。

「パイナップルはありませんか?」
当時のベラルーシ共和国は戦後の日本と同じ状況で
パイナップルは大変な貴重品で、なかなか手に入る物ではありませんでした。
この噂はすぐに町中に広まりました。
「日本人がパイナップルを探して走り回っている。いったい何事だ?」
やがて、自分たちの国の病気の子供のために、
日本人たちがパイナップルを探し求めて走り回っている事が分かります。

そんなある日、現地の人がパイナップルの缶詰を持って病院に現れます。
缶詰と言えど、当時のベラルーシ共和国ゴメリ州では高価な食べ物です。
その貴重な品を持って来てくれた人が現れたのです。
男の子は
「パイナップルを食べると元気になる」と信じていました。
その甲斐もあって、彼は食事が出来るようになりました。
そしてこのパイナップルの話は、ベラルーシの国中の人が知ることとなりました。

男の子は退院したものの、その後白血病が再発。
1年を待たずに亡くなりましたが、男の子の母親は
「私の子供が掛かった白血病はタチが悪かったのだ。
でも、私はマイナス20℃の雪の中を、
子供のためにパイナップルを探してくれた日本人を決して忘れない。」
そう仰ったそうです。

(TVを観ての聞きかじりなので、間違っている箇所もあるかもしれません)



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