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しまねこです。天皇陛下と皇室の存続と繁栄を一番に願う者ですが、しばし政治ネタはお休み。縁の下の力持ちになる方法を探って行こうと思います。
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ポーランドと日本の関係を調べているうちに、
またもやジーンと来る話を見つけた。
これもご存じの方が多いだろう。

1890年、トルコ使節団を乗せたエルトゥールル号が和歌山県沖で沈没した。
この時、船から投げ出された人を救助したは、ある島の方達だった。
この時の恩に報いて、トルコ政府は1985年、邦人救助のため
テヘランに救援機を飛ばしてくれたのだが、
この話にはそれだけで終わらない物語が前後にあった。

このエルトゥールル号遭難事件の数年前に、
同じく紀州の海で、イギリスの船が難破している。
この話を知った上で、エルトゥールル号救援の話を読むと、
日本人の凄さが良く分かる。・・・いや、日本人が凄いと言うより、
イギリス人がDQNだったと言うべきかな。
これは、イギリス人にとってかなり恥ずかしい話であるわよ。


----------------以下、JOG Guide:人物探訪さんより
一部を引用させて頂く。

ちなみに、エルトゥールル号遭難4年前の明治19(1886)年には、
同じく紀州沖でイギリス貨物船ノルマントン号事件が起こっている。
こちらの方は現在も小中高の歴史教科書に掲載されていて、
多くの子供たちも周知の史実である。

難破して沈没する船を放置して船長のドレイク以下外国人船員は
全員がボートで脱出、乗り合わせていた日本人乗客25名は見捨てられ、
全員船中に取り残されて溺死するという無残な結末となった。

にもかかわらず、領事裁判権を持つイギリス領事は船長に無罪判決を下した。
のち日本政府は船長を殺人罪で告訴したが、3ヵ月の禁鍋程度で賠償は一切却下。
まさに不平等条約の非情さを天下に知らしめた事件である。

それからまもなくエルトゥールル号の遭難事件は起こった。
大島の村民もノルマントン号事件に見られた残酷な仕打ちは知っていたであろう。
それでも前述のように異国の人々の救助に献身したのである。

全体のストーリーはこちらで
地球史探訪:エルトゥールル号事件のこと


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