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その国の気質を表すジョークとして有名な話があるのだが、
一部しか覚えていないので申し訳ないのだが、
要は、世界の人種が同じ船に乗り合わせていて、
その船から早く脱出させねばならない時に、どう言えば
海に飛び込んでくれるか?
そんな話だったと思う。
確かイタリア人には
「凄い美人がついさっき飛び込んだよ!」
と言えば、すぐに飛び込んでくれる、とかだったかな?(笑)
では日本人にはなんと声を掛けるか?と言うと、
「みんな(日本人)もう、飛び込みましたよ。」
と言えば、有無を言わず飛び込むと言うものだったと思う。
烏合の衆の付和雷同と言うわけだ。
だが、我々には我々の思うところがある。
それは、日本人でなければ理解出来ない「気質」に因る、と。
一部しか覚えていないので申し訳ないのだが、
要は、世界の人種が同じ船に乗り合わせていて、
その船から早く脱出させねばならない時に、どう言えば
海に飛び込んでくれるか?
そんな話だったと思う。
確かイタリア人には
「凄い美人がついさっき飛び込んだよ!」
と言えば、すぐに飛び込んでくれる、とかだったかな?(笑)
では日本人にはなんと声を掛けるか?と言うと、
「みんな(日本人)もう、飛び込みましたよ。」
と言えば、有無を言わず飛び込むと言うものだったと思う。
烏合の衆の付和雷同と言うわけだ。
だが、我々には我々の思うところがある。
それは、日本人でなければ理解出来ない「気質」に因る、と。
日本人は天孫降臨以前から、大国主命の元、
みんなで力を合わせて国造りを行ってきたと言う実績がある。
国造りは今も続行中であり、一度も歴史の断絶を見た事もない。
一人の盟主の元に、力を合わせて物事を成し遂げる
と言うのは、国体に臨む日本人の基本姿勢なのだ。
個人の思惑より、公の意義を優先させる。
これが日本人だ。(あるいは日本人だった)
だから、「こうするよ?」と決まったら、信頼して疑念も持たない。
そう言う信頼関係が根本にある。(あるいはあった。)
だから日本人は、人間性の低いガイジンに、お人好しと嗤われるのだ。
日本は個人個人で成り立った国ではない。
家族があり村がありその上に国があった。
逆もまた然り。
国の一番最小単位が「家族」なのだ。
家族には父親と言う王がいて、王の元に家族は団結するのが当たり前。
その規模の大きくしたものが、日本の国家である。(あるいはあった。)
日本は長いこと、君主制度が続いた。
天皇から将軍に政権が取って代わっても、
長屋に住む人には差配さんが、村に住むお百姓さんにが名主さんがいて
「難しい事はわからないが、名主さんに任せておけば大丈夫」
一般人はそうやって、自分の生活や仕事に精を出すことが出来たのだ。
そう言う長い長い「長が治め、面倒を見る」歴史がある故に、
日本人に民主主義はなかなか馴染まない。
民主主義は言葉通り、民が自分で考え、選挙と言う答えを投票するのだが、
相も変わらず、
「政治は分からないから分かる人にお任せ」
こういう人が大半を占めている。
日本には、民主主義は向かないんでしょうね。
その代わり、何か決め事をした時の日本人の団結力の凄さったらない。
それはもう世界中の人が知っている。
ワールドカップ観戦のおり、日本人観客は全員で行動を合わせ
ゴミを拾って帰って行った。
それは日本人から見たら「偉いぞ!」と言うことなのだが、
ガイジンから見ると、「信じられない」
酷いのになると、「気持ち悪い」と思うそうだ。
それでも、何も臆することはない。
日本人のやったことは真に正しい。
正々堂々としておれば良い。
出来ない西欧人が野蛮なだけであるのだから。
もっとも、つい100年前までヨーロッパ人は、家にはトイレもなく
汚物もゴミも窓から投げ捨てていたのだから、理解出来ずとも仕方ない。
よその国の事は分からないが、日本には
日本人として覚醒する、と言うことが本当にある。
若い頃は、天皇?なんで偉いのか分かんない!とか、
君が代なんて意味分かんない。などと軽口を利いていても
だんだん歳を取ってくるにしたがって、
天皇陛下を見ると、なんとなく、なんとなく有り難い気持ちになって来る。
いや、だいぶ若い人でも、オリンピックで日の丸が揚がり、
君が代が流れると涙ぐんだりする。
それは覚醒である。
遠い祖先から脈々と受け継がれて来た血の中に、あるいはDNAに
深く深く刻み込まれた「大和魂」が目覚めてくるのである。
物見遊山に皇居の一般参賀に出向いた若者が、
その日から皇室ファンになると言うのは、良くある話だ。
天孫降臨から、天皇にとって国民は子供である。
今上陛下は腰が低すぎるくらい謙遜な方で、ちっとも偉ぶらないが、
日本を治めると言うことがどういう事か、よくよくご存じの唯一の方だ。
そして、御心はいつも国民と共にある。
天皇は常に無私であり、いつもいつもいつも、この国の平安と
国民の幸福を願っておられる。
そう言う気高い御魂がこの国に存在していると言う事を、
その御霊が何に由来しているのかも、我々日本人は無意識の奥で知っており、
だからこそ、この方のためなら・・・火の中も水の中も
厭わず疑わず、命を安々と投げ出せるのだ。
外国人が日本人を怖がるのはまさにここだ。
日本の村社会には村八分と言う、最小単位の刑がある。
家族の者が同じ村の家に盗みに入ったり、
田んぼの水を勝手に引いたりすると村八分にされるわけだが、
気の毒に・・と思うかもしれないが、よくよく字を見て貰いたい。
疎外されるのは八分で、十分ではないのだ。
つまり、病気や葬式、特に家の者だけではどうにも出来ない葬儀などは
罰を受けた家であっても、ちゃんと面倒を見ると言う鉄則があった。
とことんいじめ抜くと言うやり方を、日本人は好まない。
なぜなら、村=家族。そう言う意識があるからだ。
日本と戦争をして恐ろしい思いをした兵士はごまんといる。
腹を打ち抜かれ、内蔵が飛び出していると言う状態。
通常ならまさに死体の状態だ。その死に体で
仲間を艦船に送り届けるために小舟をこぎ続けた兵士がいる。
また有る兵士は、頭の半分を打ち抜かれ、
ほとんど脳が無い状態のまま、尚も銃剣を振りかざし、
敵の中へと突っ込んで行った。
これすべて、味方の兵士を護るためである。
自分を捨てて尚、人のために命を生ききろうとする。
無私。大儀のために無私になれるのが日本人。
それは天皇陛下の御心そのもの。
無邪気で高潔。
これが日本人の本当の尊ぶべき気質。
外国人に理解して貰う必要はない。
我々日本人は、バカにされても笑われても、いつもニコニコして
大御心に適う生き方さえしていれば、本来何の不安も抱かずに済むのだ。
敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花
まさにこの歌に尽きると思う。
みんなで力を合わせて国造りを行ってきたと言う実績がある。
国造りは今も続行中であり、一度も歴史の断絶を見た事もない。
一人の盟主の元に、力を合わせて物事を成し遂げる
と言うのは、国体に臨む日本人の基本姿勢なのだ。
個人の思惑より、公の意義を優先させる。
これが日本人だ。(あるいは日本人だった)
だから、「こうするよ?」と決まったら、信頼して疑念も持たない。
そう言う信頼関係が根本にある。(あるいはあった。)
だから日本人は、人間性の低いガイジンに、お人好しと嗤われるのだ。
日本は個人個人で成り立った国ではない。
家族があり村がありその上に国があった。
逆もまた然り。
国の一番最小単位が「家族」なのだ。
家族には父親と言う王がいて、王の元に家族は団結するのが当たり前。
その規模の大きくしたものが、日本の国家である。(あるいはあった。)
日本は長いこと、君主制度が続いた。
天皇から将軍に政権が取って代わっても、
長屋に住む人には差配さんが、村に住むお百姓さんにが名主さんがいて
「難しい事はわからないが、名主さんに任せておけば大丈夫」
一般人はそうやって、自分の生活や仕事に精を出すことが出来たのだ。
そう言う長い長い「長が治め、面倒を見る」歴史がある故に、
日本人に民主主義はなかなか馴染まない。
民主主義は言葉通り、民が自分で考え、選挙と言う答えを投票するのだが、
相も変わらず、
「政治は分からないから分かる人にお任せ」
こういう人が大半を占めている。
日本には、民主主義は向かないんでしょうね。
その代わり、何か決め事をした時の日本人の団結力の凄さったらない。
それはもう世界中の人が知っている。
ワールドカップ観戦のおり、日本人観客は全員で行動を合わせ
ゴミを拾って帰って行った。
それは日本人から見たら「偉いぞ!」と言うことなのだが、
ガイジンから見ると、「信じられない」
酷いのになると、「気持ち悪い」と思うそうだ。
それでも、何も臆することはない。
日本人のやったことは真に正しい。
正々堂々としておれば良い。
出来ない西欧人が野蛮なだけであるのだから。
もっとも、つい100年前までヨーロッパ人は、家にはトイレもなく
汚物もゴミも窓から投げ捨てていたのだから、理解出来ずとも仕方ない。
よその国の事は分からないが、日本には
日本人として覚醒する、と言うことが本当にある。
若い頃は、天皇?なんで偉いのか分かんない!とか、
君が代なんて意味分かんない。などと軽口を利いていても
だんだん歳を取ってくるにしたがって、
天皇陛下を見ると、なんとなく、なんとなく有り難い気持ちになって来る。
いや、だいぶ若い人でも、オリンピックで日の丸が揚がり、
君が代が流れると涙ぐんだりする。
それは覚醒である。
遠い祖先から脈々と受け継がれて来た血の中に、あるいはDNAに
深く深く刻み込まれた「大和魂」が目覚めてくるのである。
物見遊山に皇居の一般参賀に出向いた若者が、
その日から皇室ファンになると言うのは、良くある話だ。
天孫降臨から、天皇にとって国民は子供である。
今上陛下は腰が低すぎるくらい謙遜な方で、ちっとも偉ぶらないが、
日本を治めると言うことがどういう事か、よくよくご存じの唯一の方だ。
そして、御心はいつも国民と共にある。
天皇は常に無私であり、いつもいつもいつも、この国の平安と
国民の幸福を願っておられる。
そう言う気高い御魂がこの国に存在していると言う事を、
その御霊が何に由来しているのかも、我々日本人は無意識の奥で知っており、
だからこそ、この方のためなら・・・火の中も水の中も
厭わず疑わず、命を安々と投げ出せるのだ。
外国人が日本人を怖がるのはまさにここだ。
日本の村社会には村八分と言う、最小単位の刑がある。
家族の者が同じ村の家に盗みに入ったり、
田んぼの水を勝手に引いたりすると村八分にされるわけだが、
気の毒に・・と思うかもしれないが、よくよく字を見て貰いたい。
疎外されるのは八分で、十分ではないのだ。
つまり、病気や葬式、特に家の者だけではどうにも出来ない葬儀などは
罰を受けた家であっても、ちゃんと面倒を見ると言う鉄則があった。
とことんいじめ抜くと言うやり方を、日本人は好まない。
なぜなら、村=家族。そう言う意識があるからだ。
日本と戦争をして恐ろしい思いをした兵士はごまんといる。
腹を打ち抜かれ、内蔵が飛び出していると言う状態。
通常ならまさに死体の状態だ。その死に体で
仲間を艦船に送り届けるために小舟をこぎ続けた兵士がいる。
また有る兵士は、頭の半分を打ち抜かれ、
ほとんど脳が無い状態のまま、尚も銃剣を振りかざし、
敵の中へと突っ込んで行った。
これすべて、味方の兵士を護るためである。
自分を捨てて尚、人のために命を生ききろうとする。
無私。大儀のために無私になれるのが日本人。
それは天皇陛下の御心そのもの。
無邪気で高潔。
これが日本人の本当の尊ぶべき気質。
外国人に理解して貰う必要はない。
我々日本人は、バカにされても笑われても、いつもニコニコして
大御心に適う生き方さえしていれば、本来何の不安も抱かずに済むのだ。
敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花
まさにこの歌に尽きると思う。
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