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しまねこです。天皇陛下と皇室の存続と繁栄を一番に願う者ですが、しばし政治ネタはお休み。縁の下の力持ちになる方法を探って行こうと思います。
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江戸時代、徳川幕府はキリシタン排除のため、
民を寺に帰属させる寺請制度を設けました。
これは、単なる異教徒迫害と言うことではなく、
宣教師の本当の目的、諸外国による日本侵略を防ぐためでした。
よって、一概にキリシタン迫害を悪とも言い切れない面があります。
犠牲になったキリシタンこそ気の毒の極みです。

それに対して仏教は天皇自ら受戒した方もいらして、
朝廷の庇護も篤く、現在に至るわけです。
仏教が広く受け入れられた理由は他にもあります。
それは、お葬式を一手に引き受けてくれたこと。

昔、平民で死んだ人は野辺送りと言って、
文字通り、野原に捨て置かれるのが普通だったようです。
その頃、『神葬祭』と言う儀式はまだ出来上がってなかったようですが、
上流社会には、それなりの儀式があり、
それは神道だけでなく、僧侶の読経も含まれた儀式であったようです。
その両方の術に長けた人たちが陰妙師で、いわば彼らは
プロデューサー的存在だったようですね。

神道が『宗教』になったのは戦後。
神道と言う言葉さえなかった時代です。
祝詞さえ、知らなかったんじゃないですかね。
ゆえに、平民にはお葬式の概念すらなかったでしょうね。

平安時代だったと思いますが、奈良だと思いましたが
どこぞの僧侶が、野辺にうち捨てられている死人を哀れに思って、
自ら寺に引き取り、供養を始めたのが仏式葬儀の始まりだったと思います。
その後、だいぶ経って江戸時代頃から先の寺請制度が始まり
結果、幕府が仏教式の葬式を押しつけ、一般化したようです。

そもそも、釈尊の『教え』とは、
人はいかに生きるべきか?を説いたものであって、
死んでから仏さんになる教えなんか残していない。
生を説く筈のお寺は、葬儀を一手に引き受ける事が収入の道となり、
すっかり葬式屋になってしまった。
日本の仏教界が劣化したのは、安楽な稼ぎに走ったためでしょうね。

普段、なんとなくやっていることだけど、考えればおかしな習慣だ。
なぜ人が亡くなると「戒名」を付けるのか。
戒名は得度してお坊さんになると言う意味。
現世を捨て仏道と言う新しい世界に生きるために、名前を頂く訳だ。
死んでから仏道に入るなどと言うのは、本来おかしなことの筈。
しかも、何十万、何百万円も掛けて戒名を付けて貰うなんて、
お釈迦様もさぞかし呆れておいででしょう。

そう言うお金のかけ方は、亡くなったご本人になんの福徳ももたらさない。
むしろ、邪魔になるんじゃないかな。
どっちみちあちらの世界では使わないし、
「○○○○○居士」とかお呼びしても、自分の事だって分からないよw
本当に亡くなった人のためと思うなら、
故人の名前で養護施設などに寄付した方がどんだけ良いか。
その方が、亡くなった方の本当の意味でのご供養になるよ。
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