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しまねこです。天皇陛下と皇室の存続と繁栄を一番に願う者ですが、しばし政治ネタはお休み。縁の下の力持ちになる方法を探って行こうと思います。
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NHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』の前評判が良いので
ちょこちょこ観ている。
齧り付いてまでは観ていないのだが、石坂浩二さんの言ではないが、
お金掛けてるね〜〜w
正岡子規役の香川照之さんがさすが!です。
この方、今に大俳優になりますね。

さて、わしは観てビックリ!
これは、この時代背景は少し分かるぞ!
『敵兵を救助せよ!』の工藤艦長に興味を持ち、
『帝国海軍』を読んでたから。
様々なシーンが出てくるたびに、
(ああそうだ、そう書いてあったな)
思わず顔がニコニコしてしまう。



そうそうそれから、この話は以前紹介した
ポーランドの孤児達(ユダヤ人)を救った話にも繋がるのだ。

第一次大戦直後、当時ソヴィエト政権下のシベリア極東地域に
たくさんのポーランドの難民がいました。
せめて子供達だけでも助けたいと、彼らはヨーロッパやアメリカに
援助を要請しましたが、どこも聞き入れてはくれませんでした。
ウラジオストックと近い、
日本に頼んでみようと言うことになったそうです。
まだ、お互いに大使館もない時代です。
要請後、わずか17日後に受け入れることに決断した日本は、
早くも2週間後にはシベリア孤児を陸軍の輸送船で運び、
何回もの輸送で、計700人あまりの子供達を助け出しました。

--------------------【善意の架け橋】より簡易引用

「日本に頼もう」となった時、実は反対した人がいたんですね。
日本人は野蛮だと聞いている、と。
その時、松山の収容所で過ごした事のある元兵士が、
日本でどんなに親切にされたかを力説し、
援助要請の話が決まったそうです。

まさに、『坂の上の雲』で、この元兵士が出てくる訳です。
たぶん、名もない兵士の一人としてかもしれませんが。

まだ日本に、本物のサムライがいらした時代。
夢や希望がたくさん溢れていた時代。
エリート中のエリート、エレガンスな海軍。
このドラマを楽しむためにも、ちょっとだけ海軍の事を
調べておくとイイですよ。
写真集で観るだけでも、だいぶ違います。^ ^

-------------------------
NHKスペシャルドラマ:坂の上の雲

日露戦争当時、松山にあったロシア人捕虜収容所が舞台です。
日露戦争の時、6,000人に上るロシア兵捕虜が、
四国・松山に送られてきました。
捕虜の取り扱いを定めた当時の国際法に基づいて、
松山の人々は、ロシア兵捕虜を人道的に迎え、
言葉の違いや敵味方という壁を乗り越えていきました。
それが、「花のように綺麗な土地」と呼ばれることになりました。

最近、調査が進んで、ロシア側から、
当時の捕虜収容所の様子がわかる新たな写真や資料も見つかりました。
日本が近代国家として船出したばかりの明治末期。
戦争という悲劇の裏側で育まれた、松山市民とロシア兵捕虜たちの
知られざる交流の軌跡を描きます。

---------------NHKスペシャルドラマ:坂の上の雲より引用





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