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しまねこです。天皇陛下と皇室の存続と繁栄を一番に願う者ですが、しばし政治ネタはお休み。縁の下の力持ちになる方法を探って行こうと思います。
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昨日ご紹介した▽の方ですが、

【朝鮮人が認めたがらない朝鮮人の歴史(其の壱)】


いつも情報を送って下さる白石さんが教えてくださいました。

ブログに紹介されていた、日韓併合の真実を話す崔さん。
崔さんは韓国の歴史家で、
『日韓併合の真実』(ビジネス社)ああという書籍も書かれていました。
今、この本を図書館で借りて読んでいるのですが、
崔さんは日本史事情にも詳しく、
当時の日韓の外交事情も詳しく比較していました。
(江戸期日本は鎖国とは言え、外交には気を配っていた・
海外情報収集を欠かさなかったのですね……
この本を読むまで知りませんでした)
朝鮮が駄目になったのは、中華至上主義でそれしか見ていなかったから
と繰り返し綴られています。


と言うことで、一度読んでみたいですね。



そうでしたか。
このおじいさんは韓国の歴史家なんですね。
白石さん、いつもありがとうございます。
映画『アバター』が大ヒットらしいですね。
わたしは観ていませんが、なんでも内容的に
中国批判になってるそうな?
ありそうですね。

問題の個所は、
侵略者であるマイルズ・クオリッチ大佐が登場する戦闘機にある。
窓には黄色い龍が描かれているが、翼のない中国的な龍であることから
侵略者を中国と結びつけるメタファーだと指摘されている。
ネットユーザーの多くは
「中国のイメージを汚さないよう、龍のマークを削除してほしい」
と希望していると中国新聞網は伝えている。


レコードチャイナより


------------------------引用ここまで

「中国のイメージを汚さないよう、龍のマークを削除してほしい」
って意見が、ああ中国人だなぁと納得。
やっぱり自国のことが見えていないんですねえ。

支那共産党が一番怖がるのが、国民の周知だと言います。
この、時代にまったく逆行する戦略が、いったいどこまで有効なんでしょうね?

少し前に

をご紹介して
あとで詳細を載せますね!と言った切りで、申し訳なかったんだけど、
こうなんて言うの?韓国の『か』の字を見るのもイヤでね、
ぜんぜん書く気持ちどころか、読むのもイヤになっちゃって。
今日、【日本の底力】さんに伺ったら、
ちょうど竹島の事が載っていたので、良い機会を頂いたと思って
頑張ってタイピングしますわ。



【反日韓国人撃退マニュアル】P206〜208より

竹島は1905年に国際法に則って島根県に編入された
日本領土である。
ところが、韓国政府は1952年に突然竹島を自国領土と宣言し、
現在に至るまで不法占拠を続けているのだ。

竹島を勝手に韓国領土と宣言し実力行使に出たのは、
韓国初代大統領の李承晩であった。
サンフランシスコ平和条約【1】の締結により、
日本が連合国の占領から独立するにあたり、
韓国は竹島や対馬といった日本領土の島々を自国領土として認めるように
米国に要請を行っていた。
これに対して米国政府は、当時の国務相次官補ディーン・ラスクによる
韓国政府あての書簡の中で

「この岩島(竹島)は1905年から日本の島根県の管轄下にあり、
韓国から自国の領土であるとの主張がなされたことはない」

とはっきり竹島が日本領土であることを伝えている。

そこで、平和条約が発効され日本領土が確定される前に
李承晩は竹島を韓国領土とするために強硬手段んに出たのだ。
韓国沿岸の領海を飛び越え、法的に何の根拠もなく竹島を含む一帯に
「平和線」(李承晩ライン)なる境界線を引いたと宣言し、
この平和線を越えて侵入したものは、拿捕もしくは攻撃するとしたのだ。


日本の漁民たちは近隣海域から叩き出されただけでなく、
328隻が拿捕され、銃撃などによって44人もの死傷者を出し、
さらに3,929人が韓国の収容所に拉致されている
【2】。
韓国は北朝鮮をはるかに超えるテロ国家と言っても差し支えないだろう。

【1】サンフランシスコ平和条約
日本と米国など連合国の間の戦争終結条約。1951年に署名。翌年発行。
韓国はこの条約に連合国の一員として参加させることを
米国に要求したが、却下されている。

【2】韓国政府は抑留した日本人を解放する条件として、
日本で犯罪を犯して逮捕されていた在日韓国人472人を釈放し、
引き続き日本に在留させることを要求
した。
日本政府は日本人を返して貰うために、この要求を受け入れた。


------------------------引用ここまで


書いてて体中の血がたぎってきますわ。沸々と。




【明仁天皇と裕仁天皇】P191より

「皇太子さんのテニスは極めて綺麗なテニスです。
いわゆる『汚いテニス』と言うのがあります。
勝負にこだわるあまり、平気で相手の気分を害するような汚いことをやる。
たとえば、相手が体勢を崩しているとき、
本当にこれみよがしにスマッシュしたりと言うことですね。
テニスにもルールがありますが、
皇太子さんはそのルールをきちんと守っている人です。
だから、ゲームそのものがきれいになるわけです。
皇太子さんとテニスをする度に私もきれいなテニスをしたい、
あまり狡いような、卑劣なテニスはしたくないと思いました。」




「陛下が人を見てする分析はだいたい当たっていると思う。
陛下であっても、学友といえど、当然ながら好き嫌いはあるはずだけれど、
そういうことはあまり言わない。
しかし遠回しの表現を聞いていると、
ルールを守らない男性には嫌悪感を持っています。
学友という枠の中でのルールがあって、
その中での決まりを軽々しく破ったり外に話したりということを嫌います。」


------------------------引用ここまで
宮部みゆきさんの『おそろし』なんだが、
ある一人の登場人物が胸に刺さって、そのシーンだけ
アホみたいにくり返し読んでいる。
もう暗記しそうだよ。
ネタバレになるので内容は書かないが、
人を想って想って想い続ける心ってのは切ないね。



異性に対して特別な関心を持つ・・と言う事が、
ゼロ・・・とは言わないが、かなり希薄になってしまったので
最初は感情移入が難しかった。
でも、トゲは刺さった。
刺さったトゲは甘く甘く胸に染みこんで行く。
その傍ら、ドン引きする片思いの話が飛び込んで来たり。

思うに、人は愛されたいんだね。いつまで経っても。
とことん「あなたが大好き!」って言われたいんだね。
そう言う相手を探して探して、見つかった!と思って突進したり。
『愛』『恋』と言うのはやっかいだね。
NHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』の前評判が良いので
ちょこちょこ観ている。
齧り付いてまでは観ていないのだが、石坂浩二さんの言ではないが、
お金掛けてるね〜〜w
正岡子規役の香川照之さんがさすが!です。
この方、今に大俳優になりますね。

さて、わしは観てビックリ!
これは、この時代背景は少し分かるぞ!
『敵兵を救助せよ!』の工藤艦長に興味を持ち、
『帝国海軍』を読んでたから。
様々なシーンが出てくるたびに、
(ああそうだ、そう書いてあったな)
思わず顔がニコニコしてしまう。



そうそうそれから、この話は以前紹介した
ポーランドの孤児達(ユダヤ人)を救った話にも繋がるのだ。

第一次大戦直後、当時ソヴィエト政権下のシベリア極東地域に
たくさんのポーランドの難民がいました。
せめて子供達だけでも助けたいと、彼らはヨーロッパやアメリカに
援助を要請しましたが、どこも聞き入れてはくれませんでした。
ウラジオストックと近い、
日本に頼んでみようと言うことになったそうです。
まだ、お互いに大使館もない時代です。
要請後、わずか17日後に受け入れることに決断した日本は、
早くも2週間後にはシベリア孤児を陸軍の輸送船で運び、
何回もの輸送で、計700人あまりの子供達を助け出しました。

--------------------【善意の架け橋】より簡易引用

「日本に頼もう」となった時、実は反対した人がいたんですね。
日本人は野蛮だと聞いている、と。
その時、松山の収容所で過ごした事のある元兵士が、
日本でどんなに親切にされたかを力説し、
援助要請の話が決まったそうです。

まさに、『坂の上の雲』で、この元兵士が出てくる訳です。
たぶん、名もない兵士の一人としてかもしれませんが。

まだ日本に、本物のサムライがいらした時代。
夢や希望がたくさん溢れていた時代。
エリート中のエリート、エレガンスな海軍。
このドラマを楽しむためにも、ちょっとだけ海軍の事を
調べておくとイイですよ。
写真集で観るだけでも、だいぶ違います。^ ^

-------------------------
NHKスペシャルドラマ:坂の上の雲

日露戦争当時、松山にあったロシア人捕虜収容所が舞台です。
日露戦争の時、6,000人に上るロシア兵捕虜が、
四国・松山に送られてきました。
捕虜の取り扱いを定めた当時の国際法に基づいて、
松山の人々は、ロシア兵捕虜を人道的に迎え、
言葉の違いや敵味方という壁を乗り越えていきました。
それが、「花のように綺麗な土地」と呼ばれることになりました。

最近、調査が進んで、ロシア側から、
当時の捕虜収容所の様子がわかる新たな写真や資料も見つかりました。
日本が近代国家として船出したばかりの明治末期。
戦争という悲劇の裏側で育まれた、松山市民とロシア兵捕虜たちの
知られざる交流の軌跡を描きます。

---------------NHKスペシャルドラマ:坂の上の雲より引用





昨夜は宮部みゆきさんの『おそろし』を読んだ。
宮部さんの書く物語は必ず救いがあって、
読後感が良いのでとても好き。



『おそろし』はお化け系の物語。
でも、おどろどろしいものはない。
不思議さはあるけど、それよりも
「無理もないなぁ」
と思わせられる事件の数々と共に、
人の心の切なさが描かれていると思います。
忘れてた・・・w
『トイレ考』の結論なんだけども、
韓国の戦前のトイレ環境は、日本の平安時代のレベル
よりと言う事でした。
奥さん、蕗ってあるじゃないですか?
ええ、コロボックルの傘みたいなでっかい葉っぱの。
あれって、なんで「フキ」って言うか、ご存じ?
昔、あれでお尻を拭いてたんですってよ?!
あ、ご存じでした?
こりゃしっけい。

・・ってなわけで、今『トイレの考古学』読んでます。
あ、これからお食事の方、すびばせん。
フキの佃煮?
あ、食すのは茎でしょ?
気にしない気にしない。ははは。

さて、尾籠な話で恐縮ですが、なんでトイレなのかと言うと、
日本のケガレ思想について、ソースを取りたかったからなり。
延喜式の中に「下肥」のことが出てくるらしいです。
まだ確認してませんが、学者さんが調べてるんで間違いないかと。
・・と言う事は、トイレがあったと言う事ですわね。

昔のお姫様は大変だったですね。
想像通りです。
あの十二単ですよ。奥さん。
まず上の着物と袴を脱がせて貰って、長い髪を前に持って来て帯に挟み、
お股の間に箱を入れて貰うんですって。
ちゃんとそう言う係のお女中がいたんですな。
トイレと言う場所が出来たのはもう少し後のようです。

大方の平民は家にトイレは持たず、
決まった所で用を足していたみたいです。
だから、「ク○小路」なんて名前の路もあったとか。
それじゃあんまりなので「錦小路」に変えたとか何とか。

川に流すのが基本だったようで、アフリカなんかも同じ。
ただし、アフリカは川の中に腰まで入ってやるんですね。
で、川の中にロープが張ってあって、それがトイレットペーパー。
合理的です。

○○コの化石にはいろんな形があるわけですが(爆)
形状によって名前が付いてます。
ハジメ、コロ、チビ、バナナジョウ、シボリ・・・(爆)
いやでも、この化石で食べていたものから性別まで分かるんだそうです。
すごいですね。
読もう読まなきゃ・・と思いつつ、放置しているのが万葉集


『風の良寛さん』を読んでいたら、やっぱり出て来た。
おさすがであるなぁ。
学ぼう!と思う方なら、万葉集は一度は開くべき。
良寛さんもお弟子に仰ってます。
「わかるものだけ読めば良いんだよ」
はいっ!がんがります。(キリッ!

『風の良寛』の続きです。

【良寛の言葉】さんから引用させて頂きました。
【良寛禅師奇話】より
師は、余が家に信宿(しんしゅく)日を重(かさ)ぬ。
上下(じょうか)自ら和睦(わぼく)し、和気(わき)家に充(み)ち、
帰り去るといえども、数日の内(うち)人自ら和す。

師と語ること一夕(いっせき)すれば、胸襟(きょうきん)清きことを覚ゆ。
師更に内外の経文を説き、善を勧むるにもあらず、
あるいは厨下(ちゅうか)につきて火を焼(た)き、
あるいは正堂に座禅す。
其の話、詩文にわたらず、道義に及ばず、優游(ゆうゆう)として
名状(めいじょう)すべきことなし。
ただ道徳の人を化(か)するのみ。(奇話第四十八段)


意味は

軽く4kgは越す本をやっと返還してきて
予約していた『風の良寛』を借りて来た。


まだ数ページしか読んでいないけど、すでに改めて感服。
大変な方だわ。
良寛さん物は初めて読むので、本の善し悪しはまだ分からない。
ただ、読みやすい、分かりやすいと思う。

良寛さんがどんな方であったのか?
ほんの少しの知識はあったが、
子供と遊ぶ良寛さん=無垢な方
くらいのイメージしかなかった。
その奥にある恐ろしいほど深い智恵。
今回、ちょっぴり教えて貰えそうだ。

仕事中になんだけどw
すごく良い本を見つけたのでご紹介。



韓国旅行はもちろんのこと海外のあちこちで、
「謝罪しろ!」
と、日本人に難癖付けてくる韓国人激増中!だそうで、
日本人は、韓国が間違っている事は知っていても、
具体的な歴史認識が甘く、モゴモゴ逃げちゃう人が多いと思います。
かく言うわしも、その1人です。
そなんですよね。
悔しいかな、頭で分かっていても論破出来ない。

・・・で、このこの本です。
まだ読んでないのに「読書感想文」とはこれいかに。
いや、今読んでる本があらかた読み終えたので、
(と言うか、辞典の類なので)
さっそく良寛さんについての文献を探してみたら・・・。
たかが静岡市内の公立図書館でさえ、390冊ありますた.....orz。
どやって選べと?

しかし、さすが良寛さんだ。
人気あるんだねえ。

これも聞いた話で恐縮だけど、良寛さんは寝る時(夏場)
片足を蚊帳から出して寝てらしたんですって。
血を吸いに来るのは母親の蚊なので、可哀想だからって。
すごいね。
【塵塚物語】より
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将軍家ご他界の時の天変地異

源頼朝卿は、優美な顔立ちで、
はきはきした言葉遣いの方であったと言うことである。
この卿のご逝去のとき、いろいろと天変、不思議があった。
鎌倉の海が虹色に変わったということである。
その子の頼家卿のときも不思議があったが、
時代がはるか昔の事なので、
あまり詳しく書かれたものはみあたらない。

常徳院殿(足利義尚)の時には、真昼の太陽が
夕陽のようになって、色赤く、光なく、
ぼんやりした状態が30日間も続いた、と伝えられている。
【塵塚物語】より
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十、徳政令、夫妻棒引きの真面目ナンセンス一部抜粋

中古、(主として平安時代を差すが、鎌倉・室町時代をも言う)では、
為政者が、天下に徳政令と言う奇妙な法をしいて、勝手な事をしてた。
その起源を調べてみるとこうである。
欄背が続いて、軍資金が乏しかったために、
あれこれと証人や職人の金銀を奪い、あるいは借りたままで、
持ち主に返さなかった。
そうかといって、そう言うことは不穏当で、
後の人がそれを訊けば、けしからんことだと思うだろうというわけで、
時々この法を実施したのである。
例えば、借りた物は貸し主の損となり、
貸した物は借り主の得となることである。
これを、一国を平等にする徳政と言った。
我が国では、神代以来今日まで、こんな道理にはずれた法を
聞いたことはないのである。
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