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【ねえ知ってた?】さんより拝借
いつもの巡回先を回っていたら、またもや【日本の底力】さんで
ご紹介頂いているのを発見。
ほんとに律儀な方だなぁ。
どうぞお気になさらず。
ストレートに元ネタ引っ張ってってくださいね。
そんなわけで、【ねえ知ってた?】さんで良い画像を頂き、
【日本の底力】さんで良い動画を見せて頂いたので、
わしもちょっと関連記事を。
▽
『なぜ、日本は特攻隊戦法をとらなければならないの』
天皇家は昭和20年4月、5月と時間を経るに連れ、
歴史的にはしだいに微妙な立場に置かれることになった。
硫黄島の玉砕、沖縄戦での敗戦とつづいて、軍事指導者たちは
本土決戦によって活路を開こうとしていた。
しかしこの方針に天皇自身(昭和天皇)は反対であり、
4月に誕生した鈴木貫太郎内閣とともに終戦の方向を必死に模索していた。
(中略す)
この南間ホテルでは、疎開してきた14、5歳の少年たち百余人が寝泊まりし、
古賀高等航空機乗員養成所で少年航空兵として本土決戦の訓練を受けていた。
その訓練とは、すでに飛行機が払底しているため、
徒歩で爆弾をかかえて戦車に体当たりするという訓練であった。
いわば人間爆弾である。
皇太子(今上陛下)はそのことに強い衝撃を受けている。
(中略す)
参謀本部第二部長お有末精三から南間ホテルで戦況の説明を聞いたあとに、
鋭い質問を発したことが記述されている。
有末が
「現在、日本軍は不利な状態にあるが、必ず勝てる。
最悪の場合でも、本土決戦によて一挙に敵を撃滅し、
最後の勝利をおさめることができるからご安心ください。
殿下をはじめ皆さんも、それまでは不自由をしのんでがんばってください」
との講話を行って、質問がないか学生たちに促すと、
当初は他愛ない質問がいくつか出された。
皇太子はそれを黙って聞いていた。
学生たちの質問が途絶えたあと、有末は
「殿下、何かご質問はありませんか」
と尋ねた。以下、高杉書からの引用である。
殿下はしばらく口をつぐんでいらっしゃった。
みんなが殿下を注視する。
と、殿下ははっきり、こうおたずねになった。
「なぜ、日本は特攻隊戦法をとらなければならないの」
私たちはその質問に、思わずギクッとした。
高杉に言わせると、それは国民の誰もが思っていたことだからだ。
しかしそれを口にすると、軍部の批判に通じると言うので誰もが慮っていた。
有末は平然と次のように答えた。
「特攻隊戦法と言うのは、日本人の性質によくかなっているものであり、
また、物量を誇る敵に対しては、最も効果的な攻撃方法なのです。」
皇太子は何も言葉を返さなかった。
しかしこの質問で皇太子周辺の宮廷官僚たちは、
皇太子の真意を知ったとも書いている。
つまり臣民の命をそれほど粗末にしていいのかというのが
その真意だというのである。
【明仁天皇と裕仁天皇】P62より
------------------------引用ここまで
皇室や天皇陛下のことを、なんだかんだと言う人は多いが
たぶん陛下は気にしておられないと思う。
それは、無視しているわけではなく、そう言うアンチ天皇派の人たちも含めて
幸福を願っておられる筈。
それが天皇だから。
逆立ちしたって敵うわけないよ。
朝日も社民党もいずれ消えてなくなるが、
この世がある限り、天皇と皇室が無くなることはないからね。
それがこの世界の秩序だから。
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