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ケガレ大きい画像を載っけてしまった禊ぎに、
今回は御霊鎮めのお話しを。
----------日本古典文学 古事記・風土記より
大穴持命(オオナモジノミコト)と
多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)
の間にお生まれになった味耜高彦根命
(アジシキタカヒコネノミコト)は、
そのあごひげが長く生える壮年に達するまで、
昼も夜も泣きわめいて、物を言われる事がなかった。
親神の大穴持命は御子を船に乗せて、
多くの島を連れて回り、あやされたけれども、
やっぱり泣くのをお止めにならなかった。
今回は御霊鎮めのお話しを。
----------日本古典文学 古事記・風土記より
大穴持命(オオナモジノミコト)と
多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)
の間にお生まれになった味耜高彦根命
(アジシキタカヒコネノミコト)は、
そのあごひげが長く生える壮年に達するまで、
昼も夜も泣きわめいて、物を言われる事がなかった。
親神の大穴持命は御子を船に乗せて、
多くの島を連れて回り、あやされたけれども、
やっぱり泣くのをお止めにならなかった。
いたく心配なされた大穴持命は神々に、
「夢で御子の泣く理由を教えて下さい」とお願いされた。
すると、夜夢の中で、御子が物が言えるようになるのをご覧になった。
さっそく、夢から覚めたあと、御子に物が言えるかどうか
お尋ねになってみると、御子は
「みさわ」とお話しになられた。
大神は
「どこをそう言うのか?」
お尋ねになると、御子は立ち上がって大神の前から歩き出された。
そして、石の多い川を渡り、対岸の坂の上に留まり、
「ここだ。」
と申し上げられた。
その時に、その沢の水をたたえた沼の水があふれ出て、
御子・味耜高彦根命はその水で禊ぎをなされた。
それで出雲の国造が神賀詞を奏上するため、大和の朝廷に参上する時に
その水をたたえた沼の水を潔斎として用い始めたのである。
これによって、今も妊婦はその村の米を食べない。
もし食べる者がいれば、生まれる子供は全然ものが言えなくなるのである。
ゆえにここを『三沢』と言うのである。
ここには正倉がある。
------------------------------ここまで
似たような物語が他にもある(垂仁天皇の御子)が、
ここで眼目すべきは、『船遊び』である。
以下は私見である、とお断りして書くが、
高知の土佐神社は、味耜高彦根神を祀る神社とされ、
『しなね祭り』があるが、
古伝によれば
味耜高彦根大神が土佐に移ってきたとき、
船が着いた浦の内(須崎市)に社(鳴無神社)を建てたが、
そこは神慮にかなわずと石を投げたところ、
14里離れたこの地に落ちたので、ここを社地と定めたとの
いわれがあります。
ここでも『船』にまつわる逸話が出てくる。
石を投げた所=御子が初めて言葉を発した場所
に通意すると思われ、
船旅・船遊びは、御子の御霊鎮めのためのご神事ではなかったか?
との、推察が出来るのである。
ここで、先の、葉山ご用邸におかれる、
天皇陛下が悠仁親王殿下をお連れになって、
和船を自らの御手で漕がれた事を思い浮かべない方はおられまい。
だから私は、今この時期に天皇が和船に・・と書いたのである。
陛下のお船遊びには深い意味があった。
お乗せになられたのは悠仁親王殿下。
御霊鎮めとは『静める』ことではない。意味が違う。
味耜高彦根神は御霊鎮によって言葉を発せられた。
味耜高彦根神は一言主大神と同一の神であるとも言われる。
一言主大神は、善き事も一言、悪しき事も一言と言われるように、
御稜威凄まじい大神である。
その御稜威は御霊鎮によって覚醒されたのではないか。
私はどうも、そんな気がする。
こう言う事を書くとまたどっかのバカが、必ず
『魂のアセンション★開運!船で行くすぴりちゅあるスポット』
とか言い出すから見ててみ。2年後くらいだな。(爆)
「夢で御子の泣く理由を教えて下さい」とお願いされた。
すると、夜夢の中で、御子が物が言えるようになるのをご覧になった。
さっそく、夢から覚めたあと、御子に物が言えるかどうか
お尋ねになってみると、御子は
「みさわ」とお話しになられた。
大神は
「どこをそう言うのか?」
お尋ねになると、御子は立ち上がって大神の前から歩き出された。
そして、石の多い川を渡り、対岸の坂の上に留まり、
「ここだ。」
と申し上げられた。
その時に、その沢の水をたたえた沼の水があふれ出て、
御子・味耜高彦根命はその水で禊ぎをなされた。
それで出雲の国造が神賀詞を奏上するため、大和の朝廷に参上する時に
その水をたたえた沼の水を潔斎として用い始めたのである。
これによって、今も妊婦はその村の米を食べない。
もし食べる者がいれば、生まれる子供は全然ものが言えなくなるのである。
ゆえにここを『三沢』と言うのである。
ここには正倉がある。
------------------------------ここまで
似たような物語が他にもある(垂仁天皇の御子)が、
ここで眼目すべきは、『船遊び』である。
以下は私見である、とお断りして書くが、
高知の土佐神社は、味耜高彦根神を祀る神社とされ、
『しなね祭り』があるが、
古伝によれば
味耜高彦根大神が土佐に移ってきたとき、
船が着いた浦の内(須崎市)に社(鳴無神社)を建てたが、
そこは神慮にかなわずと石を投げたところ、
14里離れたこの地に落ちたので、ここを社地と定めたとの
いわれがあります。
ここでも『船』にまつわる逸話が出てくる。
石を投げた所=御子が初めて言葉を発した場所
に通意すると思われ、
船旅・船遊びは、御子の御霊鎮めのためのご神事ではなかったか?
との、推察が出来るのである。
ここで、先の、葉山ご用邸におかれる、
天皇陛下が悠仁親王殿下をお連れになって、
和船を自らの御手で漕がれた事を思い浮かべない方はおられまい。
だから私は、今この時期に天皇が和船に・・と書いたのである。
陛下のお船遊びには深い意味があった。
お乗せになられたのは悠仁親王殿下。
御霊鎮めとは『静める』ことではない。意味が違う。
味耜高彦根神は御霊鎮によって言葉を発せられた。
味耜高彦根神は一言主大神と同一の神であるとも言われる。
一言主大神は、善き事も一言、悪しき事も一言と言われるように、
御稜威凄まじい大神である。
その御稜威は御霊鎮によって覚醒されたのではないか。
私はどうも、そんな気がする。
こう言う事を書くとまたどっかのバカが、必ず
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とか言い出すから見ててみ。2年後くらいだな。(爆)
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