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今、大ベストセラーになった、『ダヴィンチコード』の映画をやってる。
ネタバレが嫌な人は飛ばしてくださいね。
『ダヴィンチコード』のオチは、イエス・キリストに子孫が居た。
と言う物で、弟子や信者たちがそれを必死に隠し、守り続けて来た・・
そんな内容だったと思う。
次回作の「天使と悪魔」の宣伝だね。
私が初めてこの本を読んだ時、良く似たもう一つのミステリーを思い出した。
世界一チャーミングな禿オジサン。
ショーン・コネリーの主役で映画にもなってる。
『薔薇の名前』は両方とも面白かった。
映画はストーリーを端折ってあるので、確かに物足り無さは残るが、
中性のヨーロッパ、キリスト教的世界を知らない自分には
映像を見ることで解釈をよりリアルにしてくれた。
ネタは『キリストは笑った事があるか?否か?』で、
2つのミステリーの『核』にあるのは狂信かもしれん。
『宗教』は非常にやっかいなもので、所詮、たった一人が悟ったものを
師匠の足許にも追いつけなかった弟子達が伝播して行ったものだから、
どうしたって途中で理論が破綻する。
だが破綻させるわけにはいかない。だから必死に言い訳をこさえて
構築をくり返したものだから、カテキズムはどんどん厚くなり、
比例して真実からは更に更に遠くなる。
見えなくなった『真実』の輪郭を巡って、かくも宗教戦争はくり返されるのだ。
神道の怖い所は、真実その物が実に単純明快で、
ロジックを構築できない事にある。
神道=神ながらの道=神に倣って生きよ。清く、正しく、美しく。
仏教も同じく、仏陀の残した八生道がある。
人としてどうあるべきか?
子供にも分かるよう、分かりやすく説いている。
仏陀はこれなら訛伝を免れるとお考えになったのかもしれない。
だが、仏教は他の宗教と同じく、深い迷路に陥ってしまった。
なぜか?
キリストも仏陀も、弟子に教えを説いてしまったからだ。
おかしな事に神道には『教義』たるものが存在しない。
普通は、存在しないからどんなふうにでも味付け出来そうだが、
そんな事には一切なっていない。
神道は神職さんが人の道を諭すことはあっても、
教えその物を伝授する事はない、あり得ない。
なぜなら、教えその物が存在しないからだ。
存在しないものをロジックで展開することは不可能だ。
そして何より、宗家が存在し続けると言う超驚異的な脅威。
宗家が黙っておられるのに、分家がしゃしゃり出られる訳もないか。(笑)
神々の苦心が忍ばれる。
神々は劣化と訛伝から道をお守りになるために、
教義の変わりに物語を顕されたのかもしれない。
それが古事記であると知ったのは、ほんの数年前のことだが・・。
だが、古事記は通常の物語とは違う。
だからどんな国文学のエキスパートが解釈を試みても、絶対に解けない。
その、こざかしい考えを捨てなければ理解出来ないようになっている。
ここにも一つの大きな教えが隠されている。
それは『慎み』だ。
分かってるふりも、見栄も何かも捨てて、ただ無心に読みなさい。
だが、たったそれだけの作業の、なんと難しいことか。
神道の世界は広い。
広くてたんと深い。
悟りには何段階もある。
その階梯を一つ一つ上がることは我々にはとても無理だが、
慎んで文字を追うことだけは許されている。
そして、なるべく正しく生きる努力をすること。
なるべく困っている人を助けること。
それだけでもう、じゅうぶんな気がする。
ネタバレが嫌な人は飛ばしてくださいね。
『ダヴィンチコード』のオチは、イエス・キリストに子孫が居た。
と言う物で、弟子や信者たちがそれを必死に隠し、守り続けて来た・・
そんな内容だったと思う。
次回作の「天使と悪魔」の宣伝だね。
私が初めてこの本を読んだ時、良く似たもう一つのミステリーを思い出した。
世界一チャーミングな禿オジサン。
ショーン・コネリーの主役で映画にもなってる。
『薔薇の名前』は両方とも面白かった。
映画はストーリーを端折ってあるので、確かに物足り無さは残るが、
中性のヨーロッパ、キリスト教的世界を知らない自分には
映像を見ることで解釈をよりリアルにしてくれた。
ネタは『キリストは笑った事があるか?否か?』で、
2つのミステリーの『核』にあるのは狂信かもしれん。
『宗教』は非常にやっかいなもので、所詮、たった一人が悟ったものを
師匠の足許にも追いつけなかった弟子達が伝播して行ったものだから、
どうしたって途中で理論が破綻する。
だが破綻させるわけにはいかない。だから必死に言い訳をこさえて
構築をくり返したものだから、カテキズムはどんどん厚くなり、
比例して真実からは更に更に遠くなる。
見えなくなった『真実』の輪郭を巡って、かくも宗教戦争はくり返されるのだ。
神道の怖い所は、真実その物が実に単純明快で、
ロジックを構築できない事にある。
神道=神ながらの道=神に倣って生きよ。清く、正しく、美しく。
仏教も同じく、仏陀の残した八生道がある。
人としてどうあるべきか?
子供にも分かるよう、分かりやすく説いている。
仏陀はこれなら訛伝を免れるとお考えになったのかもしれない。
だが、仏教は他の宗教と同じく、深い迷路に陥ってしまった。
なぜか?
キリストも仏陀も、弟子に教えを説いてしまったからだ。
おかしな事に神道には『教義』たるものが存在しない。
普通は、存在しないからどんなふうにでも味付け出来そうだが、
そんな事には一切なっていない。
神道は神職さんが人の道を諭すことはあっても、
教えその物を伝授する事はない、あり得ない。
なぜなら、教えその物が存在しないからだ。
存在しないものをロジックで展開することは不可能だ。
そして何より、宗家が存在し続けると言う超驚異的な脅威。
宗家が黙っておられるのに、分家がしゃしゃり出られる訳もないか。(笑)
神々の苦心が忍ばれる。
神々は劣化と訛伝から道をお守りになるために、
教義の変わりに物語を顕されたのかもしれない。
それが古事記であると知ったのは、ほんの数年前のことだが・・。
だが、古事記は通常の物語とは違う。
だからどんな国文学のエキスパートが解釈を試みても、絶対に解けない。
その、こざかしい考えを捨てなければ理解出来ないようになっている。
ここにも一つの大きな教えが隠されている。
それは『慎み』だ。
分かってるふりも、見栄も何かも捨てて、ただ無心に読みなさい。
だが、たったそれだけの作業の、なんと難しいことか。
神道の世界は広い。
広くてたんと深い。
悟りには何段階もある。
その階梯を一つ一つ上がることは我々にはとても無理だが、
慎んで文字を追うことだけは許されている。
そして、なるべく正しく生きる努力をすること。
なるべく困っている人を助けること。
それだけでもう、じゅうぶんな気がする。
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