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少し前になるけども、ジモティ仲間でわたしがエラクお世話になっている
Iさんと話していた時のこと、皇太子妃殿下の話題になった時、
彼女は悪口にならないよう気を付けながら、
「要は慎みですよね。」
と悔しそうに言った。
まさにそうだ、と強い口調で私も答えた。
妃殿下の一所懸命は目指す方向が違っていると、
早い段階で上手にどなたかが教えて差し上げるべきだったのだ。
若い頃の自分もよくやった間違いなのだが、
嬉しさや真心が先走りしてしまい、自分の善を押しつけてしまう事があった。
きっと役に立つはずだと言う強い思いこみがあって、
相手がそれほど嬉しそうな顔をしないと、拍子が抜けてしまって。
よほど若い頃は、
「自分がこんなに心配して尽くしているのに、分かってくれない!」
などと、勘違いも甚だしい怒りを抱いてしまったり。
善行にもまた、「慎み」がある。
案外、親切と言うのは難しいのだ。
私はもういい加減、人の面倒を見たり、教えたり諭したりしないと
いけない年なので、時々、嫌われるのを覚悟でキツイ事を言う。
相手に、確固たる愛情があれば、嫌われるのも怖くないものだ。
もし離れて行ったとしても、いつか気づいてくれると信じている。
例えそれが、10年後20年後であったとしても、
その人が私と同じ立場に立った時、必ず役に立つと信じてる。
こう言う事は持ち回り。
私もそうやって年上の友人達に教わって来た。
Iさんと話していた時のこと、皇太子妃殿下の話題になった時、
彼女は悪口にならないよう気を付けながら、
「要は慎みですよね。」
と悔しそうに言った。
まさにそうだ、と強い口調で私も答えた。
妃殿下の一所懸命は目指す方向が違っていると、
早い段階で上手にどなたかが教えて差し上げるべきだったのだ。
若い頃の自分もよくやった間違いなのだが、
嬉しさや真心が先走りしてしまい、自分の善を押しつけてしまう事があった。
きっと役に立つはずだと言う強い思いこみがあって、
相手がそれほど嬉しそうな顔をしないと、拍子が抜けてしまって。
よほど若い頃は、
「自分がこんなに心配して尽くしているのに、分かってくれない!」
などと、勘違いも甚だしい怒りを抱いてしまったり。
善行にもまた、「慎み」がある。
案外、親切と言うのは難しいのだ。
私はもういい加減、人の面倒を見たり、教えたり諭したりしないと
いけない年なので、時々、嫌われるのを覚悟でキツイ事を言う。
相手に、確固たる愛情があれば、嫌われるのも怖くないものだ。
もし離れて行ったとしても、いつか気づいてくれると信じている。
例えそれが、10年後20年後であったとしても、
その人が私と同じ立場に立った時、必ず役に立つと信じてる。
こう言う事は持ち回り。
私もそうやって年上の友人達に教わって来た。
けれど、こんな事もある。
気が付くと、しょっちゅうあった。
最近もあった。
私はアホなので気づかなかった。
これはツライ事だけれど、いい歳になっても、大人に成りきれない人は多い。
こっちは尊敬の念を持って見ているから、
まさか自分が嫉妬されているなんて気づかない。
気づいてもなかなかそれを受け入れられない。
そう言う時、本当に困る。
困った挙げ句、私は一つの選択をする。
「努力するだけしてダメなら、軽蔑して黙って離れなさい。」
いつか、尊い方はそう仰った。
素直(笑)に「軽蔑」出来る場合はしちゃうけど、
心の中で感謝しつつ黙って離れたこともある。
そうすると、なぜか意地悪が酷くなる場合もあった。
でも、考えに考え、それが唯一、自分に出来る事だと判断したので、後悔はしてない。
見事に、もう名前も出てこない。(笑)
例えどんなに大切なものを盾にされても、自分の信念を曲げる事は出来ない。
例えば、泥棒したね?と訊かれても、
やっていないものをやったとは言えないのだ。
だからこそ、自分はいつも自分の気持ちに正直でいる覚悟をする。
嫉妬心が出てきたら、ああ自分は今この人にヤキモチをやいてるな?
と自覚する。
自覚すれば自分の嫉妬心を野放しにしてしまう事はない。
嫉妬は暴れるからね。
自分の心の汚さに目をつぶってしまうと、どんどん頑固になる。
頑固がケガレだと言うのは本当だな、と思う。
今も、自分の頑固さと戦っている。
それは『人』に対するものではないが、飲み込めない理不尽に腹を立てているのだ。
そして、それが見当違いだと言う事も分かっている。
分かってはいるがまだ飲み込めない。
『心』と言うものはやっかいだ。
掴み所がないし、いつもふわふわと頼りない。
だからいつも見張っていようと思うのだ。
ダメならダメで仕方ない。
ダメな自分から逃げないことで、ようやっとなんとか心許ないながらも、
自分は大人でいられるような気もする。
気が付くと、しょっちゅうあった。
最近もあった。
私はアホなので気づかなかった。
これはツライ事だけれど、いい歳になっても、大人に成りきれない人は多い。
こっちは尊敬の念を持って見ているから、
まさか自分が嫉妬されているなんて気づかない。
気づいてもなかなかそれを受け入れられない。
そう言う時、本当に困る。
困った挙げ句、私は一つの選択をする。
「努力するだけしてダメなら、軽蔑して黙って離れなさい。」
いつか、尊い方はそう仰った。
素直(笑)に「軽蔑」出来る場合はしちゃうけど、
心の中で感謝しつつ黙って離れたこともある。
そうすると、なぜか意地悪が酷くなる場合もあった。
でも、考えに考え、それが唯一、自分に出来る事だと判断したので、後悔はしてない。
見事に、もう名前も出てこない。(笑)
例えどんなに大切なものを盾にされても、自分の信念を曲げる事は出来ない。
例えば、泥棒したね?と訊かれても、
やっていないものをやったとは言えないのだ。
だからこそ、自分はいつも自分の気持ちに正直でいる覚悟をする。
嫉妬心が出てきたら、ああ自分は今この人にヤキモチをやいてるな?
と自覚する。
自覚すれば自分の嫉妬心を野放しにしてしまう事はない。
嫉妬は暴れるからね。
自分の心の汚さに目をつぶってしまうと、どんどん頑固になる。
頑固がケガレだと言うのは本当だな、と思う。
今も、自分の頑固さと戦っている。
それは『人』に対するものではないが、飲み込めない理不尽に腹を立てているのだ。
そして、それが見当違いだと言う事も分かっている。
分かってはいるがまだ飲み込めない。
『心』と言うものはやっかいだ。
掴み所がないし、いつもふわふわと頼りない。
だからいつも見張っていようと思うのだ。
ダメならダメで仕方ない。
ダメな自分から逃げないことで、ようやっとなんとか心許ないながらも、
自分は大人でいられるような気もする。
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