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しまねこです。天皇陛下と皇室の存続と繁栄を一番に願う者ですが、しばし政治ネタはお休み。縁の下の力持ちになる方法を探って行こうと思います。
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時代は遡って戦国の昔、越中富山の城主・佐々蔵之介成政が、
豊臣秀吉の差し向けた上杉軍に囲まれて、
1582年12月、わずか五十騎の手勢を率いて、雪と氷のザラ垰から、
今はダムの底に沈んでいる平ノ渡を渡って、
針の木峠越えを敢行したことは、有名な史実である。
その成政が佐々家再興を願って、軍資金として金の小判を
48の壺に入れてアルプスのどこかに隠したと伝えられている。


【ウイキペディア・立山連峰画像】


これがなまじっかホラ話とも言い切れない話も残っていて、
宝探しにやってくる輩が後を絶たなかったらしい。

代々、この壺の番をしていた家系も今は絶えてしまったそうだが、
ひとりだけ壺の場所まで付いて行った男がいて、
あとからこっそり一つだけ持ち出したと言う話も残っている。

この場所と言うのが、針の木谷、または太郎兵衛平から
水晶岳にかけてのどこかだとも言われているそうです。
埋蔵金伝説は、徳川家、武田家もありますな。

『仙境異聞』の寅吉さんも、
「お金が必要な時は、人間が忘れているお金、
落ちているお金を拾って使用し、また人間界の流通に戻す」
と言うような事を仰っているので、あながちホラでもないような。

【黒部源流 雲ノ平三俣山荘・雲ノ平山荘・水晶小屋・湯俣山荘公式サイト】
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もう一つ。
私が『黒部の山賊』で非常に興味を惹かれた話が

小屋から出て、リュックを置いたところの近くまで行くと、
霧がかかってきて方角が分からなくなってしまった。
それからあとは、ただ小屋へ帰ろうと思って
ヤブの中を歩き続けたことだけしか記憶にないと言う。
さらに彼のことばをよく聞いて判断すると、
霧は白骨の方からかかってきたらしい。しかし不思議なことに、
そのころ雲ノ平で霧を見た者は1人もいないのである。
そしてヤブの中を歩いて最後に出たのは、カベッケだった。

そこでキャンプをしていた人たちの中へ入れて貰って最後の夜は過ごし、
早朝、雲ノ平へ戻って来たのである。
そして彼は、
「今になって考えてみると不思議です。昼も夜も、いつも4人で、
話し合ったり、僕のもっていた乾パンを食べたりしながら歩いていたので、
少しも寂しくありませんでした」

と言う。
いったい彼の他の3人はなんだったのだろうか。

である。
『黒部の山賊』は面白かった。
『山のミステリー』を読んでいたこともあって、
山や登山者にまつわる怪談話が多いのかな?と思っていたが、
そういう視点の本ではなかった。

山賊とは、いわゆる猟師さんのことで、
ここに登場してくる猟師さんたちはプロ以上。
・・・と言うのは、能力も高いが反面癖も強くて、
野放図に山で生きるしか、彼らには選択肢が無かったように思えた。
それでも、大変魅力的な仲間たちである。

【黒部源流 雲ノ平三俣山荘・雲ノ平山荘・水晶小屋・湯俣山荘公式サイト】

神がくし?(三俣山荘オーナー伊藤さん)

カベッケでキャンプをした金沢大学医学部の学生I君、S君、B君の3名は、
夕方雲ノ平山荘に着いた。
彼らは疲れていたので、小屋へ着く手前、
約10分の所にリュックを1つ置いて来た。
そこで一番元気の良かったI君が1人でそれを取りに行った。
それきりいなくなってしまったのである。

天気は良かったし、暮れるにはまだ十分に時間があった。
小屋から10分といえば、万一の時でも呼べば聞こえるところである。
他にも登山者は大勢いた。
I君がいなくなったといって騒ぎ出したのは暗くなってからだった。
小屋の者がライトを持って行ってみると、
リュックはそのままのところに置いてった。
そしてそこはまさに白骨のあるヤブの入り口だったのである。
2chのサーバが落ちてるらしい・・。
たぶん、オカラさんの削除依頼の件と、護衛艦衝突の件で
ハングアップ状態と見た。

さて、お約束した【黒部の山賊】のご紹介です。
おどろおどろしい物ではないのでご安心を。

【黒部源流 雲ノ平三俣山荘・雲ノ平山荘・水晶小屋・湯俣山荘公式サイト】


人を呼ぶ白骨(三俣山荘オーナー伊藤さん)

昭和33年のことだった。
私は雲ノ平の、カベッケに近い、だれも行かないヤブの中を歩いていた。
すると突然、足の骨が1本ころがっているではないか。
おや?と思ってあたりを見回すと、30メートルほど横に、
他の部分がそっくりあった。

これはいいろいろな天で不思議な白骨だった。
足の骨が斜面の下方にあったのなら、雪などで押されて行ったとも考えられるが、
横の方向に離れてあったのが第一の不思議だった。
さて、八ヶ岳の画像を送って下さった山さん(仮名)が、
以前、こちらでご紹介した絶版書籍『黒部の山賊』を
送って下さいました。
1人で読むのはもったいない面白い本です。
良かったら回しますので、メールでお申し込み下さい。
送料は片道のみルールで。
プチプチで包んで定形外形式でイケると思います。
黒部の山賊

大事に扱って貰うのは当然ですが、少々の汚れは仕方ないです。
あまり気になさらず、お気軽にね。
せっかくの山さんのご厚意ですから。(^_^)b

後でちょびっと、中味をご紹介しますね。
怒濤のタイピング作業になるので、少しお時間たもれ。
室町時代末期に書かれたエッセイみたいなもん。
『塵塚』とはうまいことを仰る。
駄文、駄説も積もれば塚となるか。


混交玉石。
面白い。
常々、テレビやドラマで観る、ひめゆり学徒隊の皆さんの話。
若い娘さんが可哀そうに!とか、戦争の犠牲者なのね?とか、
戦争=悪 日本軍=悪・・のような一方的な取り上げ方に
私はどうも、違和感を感じていて・・・。
今回、『日本海軍のこころ』を読むにあたり、
すっと心に抵抗なく入ってくる様子が書かれていたので、
ここに紹介しようと思う。



---------------------------『日本海軍のこころ』より引用
自己弁護と思われては大変気の毒なので、
太田司令官の電報を意義を先に書いておく。
沖縄県民は、このように戦ったのである。
どうか県民に対し、後世特別のご高配をたまわらんことを。
今ね、『日本海軍のこころ』を読んでいるんだけど、
いい話が書いてあったよ。
まず、先に一つあげておくね。

「人は、危機に直面して笑うことが出来れば、
なかでも尊敬している人から笑わされると、自信、平静さ、
活力をたちまち回復し、恐怖心をたちどころに
吹き飛ばすことができるものである。

おのれの威信を失墜させず、しかもばかげきったことに
部下と一緒になって心から笑う事のできる士官は、
軍隊の規律や日常生活の決まりを維持する上から、ことに大切な人である。

部下はそう言う士官を見て、その士官も自分たちと同じように、
人間らしい人間なのだと、共感を覚えるだろう」
政権交代がきっかけになって、日本が参戦した戦争について
自分なりに勉強してみようと、考えるようになった。
『海軍』なんて、自分には一生縁のないものだったが、
『敵兵を救助せよ!』の工藤艦長のおかげで、興味が持てた。

話したい事はやまほどあるが、
今日は際だった海軍のエピソードをご紹介しようと思う。
いい話です。

-------------------------
海軍では練習艦隊の遠洋航海が終わると、
候補生に言い渡される心得の中に、
「ユーモアを解かせざるものは海軍士官の資格なし」
と言うものがある。
男ばかりの長い海上の閉鎖的空間生活に於いて、ストレスを解消する
智恵として生まれたものかもしれない。

予備仕官の採用試験で英語が堪能で、
海軍としても採用したい好青年が志願して来た。
しかし、いかんせん、小柄であった。
身体試験で、体重がどうにも足りない。

試験官は
「もう一度体重計に乗りなさい」
と、何回乗せても体重計の針は規定以下、たまりかねた試験管が、
「ドーンと乗れ!」
と指示。
すると針がピーンと振れて基準値を超えた。
試験官は大声で、
「よーし、合格!」
と叫んだと言う。(笑)
やっと『敵艦を救助せよ!』を読み終えた。
帝国海軍には素晴らしい人材がたくさんいたんだねえ・・・。
鈴木貫太郎首相の信念を形作っていたと思われる
基幹が武士道にあったことも、分かった気がした。
それから、なぜアメリカ兵を『鬼畜米兵』と侮蔑したのかも
よーーーーーーっく理解できた。
全てのアメリカ兵がそうだ・・と言うわけではないが、
卑怯、傲慢、狡い人間が大量にいたのは事実みたい。

『写真集・硫黄島』。
まぁご遺体の写真もあろうが、2〜3枚であろう・・
と思ってをパラパラめくっていたら、
・・・がぁ〜ん!
これはキツイ。
けれど、先日まで『墜落遺体』を読んでいたおかげで
すぐに見慣れた。

とても寝ころんでいられなくなって、起き出した。

思うに、戦死者に敵兵も日本兵も無いよね。
工藤俊作艦長の詳しい話
はこちらで読んでいただくとして
ここには、面白い話をだけを拾って書いておきます。

これと真逆に、救助されたアメリカ兵は酷かったみたいです。
伝統を持たない国の、精神性の低さなんでしょうね。

奇蹟のアンビリーバボー再現ドラマ


日本海軍はイギリスから指導者を招いて軍の理念、
体系を形作ったと言う経緯もあり、
また、互いに騎士道と武士道のお国柄を持ち、
軍人たる前に紳士であれ、と言う、
精神性の高さを重んじる気質も似た理念があったので、
相互理解もしやすかったのかも。
『敵兵を救助せよ!』の著者・恵 隆之介氏が、
この本を書くきっかけを、こう書いておられる。

----------------------本書より引用す
墓参も終了し、「これで、役目も終わった」と私は思った。
ところがその後、関係者と会話を交わした時に受けた感動が、
本書の執筆を思い立たせたのである。

工藤七兵衛は、
「叔父はこんな立派なことをされたのか、
生前一切軍務のことは口外しなかった」
と落涙された。同様に、
救助当時の先任将校・故浅野市郎少佐の令嬢・鈴木民子、
元機関長・故林清三少佐夫人に、それぞれフォール卿の
メッセージを伝えたところ、両人とも、
「初耳だ、そんな立派なことをしていたんですか、
本人は生前一切このことについて語らなかった」と感動していた。


私はここに、帝国海軍の崇高な精神を発見したのである。
彼らは、国家のため職務を忠実に果たし、
己を語らず(サイレント・ネービー)、
静かにこの世を去っていったのだった。

この先人の功績を発掘し、後世に伝え残すことこそが、
我々後輩の責務であると、私は痛感したのである。
『敵兵を救助せよ!』を読み始めて
ついつい徹夜してしまい、起きたら3時だった・・。
反省。

さて、『敵兵を救助せよ!』は、これは男性なら
より面白く読めるんじゃないかと思うのだが、
私は日本海軍どころか自衛隊もよく分かっていないので、
なかなかスッスと読めなかった。
それでも、明治時代の日本人の気骨とか、
海外から良い物を学ぼうとする姿勢、尊敬や、
逆に譲れないものには断固として拒否。
恰好イイ!日本人の姿に喝采を送りたくなりました。

『墜落遺体』読み終わりました・・・。

もう、ず〜〜っと、ご遺体の話です。
最初はどえっ?!と思いましたが、
途中からすっかり慣れてしまいました。

しかし、信じられません。
山で起こった事件を調べているうちに、
御巣鷹山の日航機墜落事件が出て来て。
一度この事件のノンフィクション物を読んでみたいと
考えていたのだけれど、図書館ではいつも貸し出し中で。
図書館サイトで検索したら、よその図書館に在庫があった。
さっそく予約。昨日借り出して来た。


ある程度覚悟はしていたが、想像を絶する悲惨さ・・。
転載しようか迷ったんだけど、一部だけご紹介する。

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